映画【千年女優】あらすじとネタバレ・感想

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今敏監督のアニメ映画、『千年女優』を観たので、あらすじ(ネタバレ含む)と感想を書いていきます。あらすじはネタバレなしの部分とありの部分とに分けて書いているので、まだ観ていない方は注意して読んでください。

少々難解なストーリーが評価を分けるところではありますが、今敏監督のお家芸である「現実と非現実の混じりあった混沌とした世界」を存分に楽しめる作品です。往年の大女優が過去を語り始めると、彼女自身の恋の記憶と、彼女が映画で演じてきた数々の役の記憶が混じりあい、そして現在その思い出話を聞いている映像制作会社の男2人もその世界に引き込まれていくという構造になっています。千年の時を超えて様々な時代を疾走していく場面展開が見応え抜群の名作です。

主な登場人物

藤原千代子(CV:荘司美代子):往年の大女優。既に高齢で引退後はひっそり暮らしている。
立花源也(CV:飯塚昭三、佐藤政道[青年期]):映像制作会社の社長で千代子の大ファン。
井田恭二(CV:小野坂昌也):立花の会社のカメラマン。
鍵の君(CV:山寺宏一):千代子が恋した絵描きの青年。思想犯として特高から追われている。

あらすじ(ネタバレなし)

自身も昔勤めていた銀英撮影所が取り壊されることになり、この撮影所の70周年の記念番組を作ろうと、立花はカメラマンの井田を連れてかつての大女優・藤原千代子を訪ねてきた。引退後、長い間人前に姿を見せていない千代子だったが、インタビューに応じてくれた。

インタビューの前に、立花は、千代子が最後の撮影現場で落として無くしていた鍵を千代子に手渡した。それを見て、千代子は昔の記憶を語り始める。それは千代子が追いかけ続けた初恋の話であり、自身の女優としての経歴についての記憶でもあった。

千代子の話は、世界大戦中、千代子が学生だった時にさかのぼる。ちなみに立花と井田は、その回想をリアルタイムで見ているかのように若き日の千代子を物陰から見ている。

あらすじ(ネタバレあり)

※以下ネタバレあります。本作をまだ観ていない方は注意して下さい。

ある冬の日。学生時代に女優にスカウトされた千代子だったが、母親の反対にあい、スカウトの男性と交渉決裂となって事務所を飛び出してしまう。その帰り道、千代子は路上で一人の男性とぶつかる。雪の上に血痕を見た千代子は、とっさにそのケガをしている男性を家の倉庫にかくまった。千代子はその男性に恋心を抱いてしまう。
彼は思想犯の疑いで、特別高等警察(以下特高)から追われていた。千代子に、「約束の場所でまた会おう」と告げて鍵だけ残して姿を消した男。千代子は、駅に行ったという彼を必死で追いかけるが、結局電車は目の前で走り去ってしまう。彼が満洲へ向かっているという情報を仕入れた彼女は、彼に会いたい一心で、満州で撮影をするという女優のオファーを承諾した。

満洲で撮影中、千代子は「探し人は北に入る」という占い師の言葉を聞いて、撮影をほっぽり出して電車で北に向かう。するとその電車は馬に乗った賊軍に襲われる。

場面が急に変わって火の放たれた落城寸前のお城の天守閣。姫役の千代子の前に謎の老婆が現れる。千代子は、糸車を引くその老婆によって千年の間恋心に翻弄されるという薬を飲まされ、呪いをかけられてしまう。

場面変わって幕末の京都。一度「鍵の君」を見つけるも、追われている彼はまた「約束の場所で会おう」とだけ残して去ってしまう。

場面変わって大戦中。思想犯をかくまった疑いで収容されていた千代子は、自分が釈放になった時に入れ替わりで連行されていく「鍵の君」を発見。しかし、彼はそのまま建物内へ連れていかれてしまった。

場面変わって空襲からの終戦。瓦解した自宅から、千代子は彼が倉庫の壁に書き残した千代子の似顔絵と、「いつかきっと」というメッセージを見つける。

場面変わって千代子は結婚適齢期になっていた。若かりし立花が回想の中に登場し、彼と千代子がかつて銀映撮影所で一緒に働いていたことが発覚。
その頃映画監督から言い寄られていた千代子だったが、「鍵の君」が忘れられず断り続けていた。しかし、ある撮影現場で鍵をなくしてしまい、吹っ切れた千代子は結局監督と結婚する。

ある日、旦那である監督の仕事部屋を掃除していると、無くしたはずの鍵を見つけてしまう。監督は千代子を振り向かせるべく鍵を盗んでいたのだった。それを知って口論になる千代子たち。するとそこへ、ずっと「鍵の君」を追っていた特高の男がやってくる。彼は千代子に、「鍵の君」からの手紙を渡した。その手紙には、彼が北海道の出身であることが書いてあり、千代子はすぐさま駅へ向かって走り出してしまう。その場にいた若き日の立花は、泣きながら何かをつぶやく特高の男の言葉を聞き取ろうとしていた。

北海道の白銀の野原を歩く千代子。雪で覆われたその世界はいつ間にか月面になっていた。月の上で彼の描いていた絵を見つけた千代子は、その絵の中に手を振りながら消えていく「鍵の君」を見た。「どこまでも会いに行くから」と叫ぶ千代子。

場面は変わって、その月へ行く前のロケット打ち上げの撮影現場。突如大きな地震に襲われてセットが崩れてしまう。セットの下敷きになりそうな千代子を若き日の立花が庇って守った。その事故の時に、立花は千代子の鍵を偶然拾っていたのだった。しかし、その事故のあと、千代子は女優を引退して世間から姿を消した。

場面は現代に戻る。
「鍵の君」に年取った自分の姿を見られたくなかったから、と引退理由を説明してインタビューは終了。体調が崩れた千代子は、救急車で病院に運ばれた。立花は、かつて特高の男から、「鍵の君」は特高によって拷問の末に殺されていたことを聞いていた。それは千代子には明かさず、カメラマンの井田にだけ打ち明けるのだった。

病院のベッドで「これで彼に会いに行ける。鍵もここにある。でも彼に会えるかどうかはどっちでもいい」という千代子。

場面変わって、ロケットで打ち上げられて行く若かりし千代子。

だって私、あの人を追いかけている私が好きなんだもの。

感想と考察①

文字で書くとかなり分かりにくストーリーになっていますね。場面転換のつなぎが見事になされていて、本編を観ていると違和感は全然感じません。ぜひ本編を観てみてください。

さて、この映画は難解なストーリーと、千代子の最後のセリフで評価が二分されているイメージがあります。

まずストーリーですが、確かに分かりにくい。実際の千代子自身の記憶と、映画で演じた役の記憶が絶妙に混ざり合って回想シーンとなっているので、どれが実際のできごとでどれが映画の中の話なのかが釈然としません。

しかし、この千代子の回想が事実か映画の配役なのかを明確に区別することは、実は全く重要ではありません。我々は理解を深めるためにストーリーを整理しようと区別をしたくなりがちですが、演じた役としての記憶も、千代子にとっては「本物の記憶」です。
よく俳優の仕事は、「他人の人生を疑似体験すること」と言われます。俳優や女優は映画やドラマなど、出演した作品の数だけ異なる人生を演じながら疑似体験しているのです。しかし、疑似体験といえどもそれは間違いなくその俳優・女優の記憶となって残っていきます。千代子の主観的な回想を観ている立花達や観客は、いずれにせよ千代子のリアルな記憶を観ているのです。

本作の中で千代子は、出演した映画を通じても「鍵の君」を追いかけています。つまり、現実と非現実が混じりあっています。今敏監督はこのような現実と虚構を混合させた世界を描くことで定評がありますが、実は我々の住むこの現実世界でさえ、現実と虚構の境界線が曖昧になりつつあります。近年、利用者の五感をあたかも現実のもののごとく刺激するリアリティのあるバーチャル映像技術も進歩しています。また、匿名性の高いネット社会も一例でしょう。おっさんが女子学生のフリをしてSNSをして、それを本当の女子学生だと思う人がいれば、それもある意味現実と虚構が同居している状態と言えます。

このように今敏監督が描きたかったのは、現実と非現実が入り混じる世界はもはや夢物語ではない、ということではないでしょうか。ただ、監督はそんな世界に警鐘を鳴らしているのではなく、それを楽しむ道を提示しているかのような印象をラストシーンから受けました。

最後の千代子のセリフ。

だって私、あの人を追いかけている私が好きなんだもの。

これを大真面目に受け取ると、「千代子は鍵の君が好きやった訳じゃないんか!」「めちゃ自己陶酔しとるやないか!」というネガティブな解釈になりがちです。まあ、鍵をなくして気が抜けて監督と結婚したあたりそれは完全否定はできないですが。

このセリフの意図は、そんな表面的に千代子の性格を表すものではなく、観客に向かってこの世界の楽しい生き方を提示することにあります。
人間はだれしも浮世と言う舞台で何かを追いかけながら人生を送っています。幸せを追いかけたり、夢を追いかけたり、お金や名声、恋人などなど、追いかけるものがあってこその豊かな人生です。しかし、時としてその追いかけるものが手にできなくて絶望したり自暴自棄になったりする場合もありますし、それが犯罪に繋がることだってあり得ます。そうならない為にも、その追いかけている自分、一生懸命生きている自分をまず肯定的に受け入れることで、必ずしも結果がうまく行かなくても前向きに生きていけるのです。作中で、インタビューを受けながら過去を振り返る千代子は本当に楽しそうでした。彼女は自分の人生、自分の携わってきた仕事を心から楽しんでいたのです(引退後は分かりませんが)。これは観客にも通ずる人生を楽しく生きていくコツだと言えるでしょう。また、想い人に全然会えない中、立花は様々な役になり切って憧れの千代子を手助けしていきます。もちろん千代子の意識が立花に向かうことはありませんが。これも、「どんな苦境にあってもあなたを守り助けてくれる人が必ずいる」というメッセージに受け取れます。

感想と考察②

長くなったので分けました。

この作品にはもう一つ需要なテーマがあります。それが、「輪廻転生」というものです。実は千代子が蓮の花が好きだったり、立花と井田の会社名が「ロータス(蓮)」だったり、この作品には仏教を彷彿とさせる要素があります。輪廻転生とは仏教的な思想なので、これは監督が意図して含んだテーマなのではと思います。

俳優が「他人の人生を疑似体験する」職業だと既に書きましたが、この異なる人生を次々と演じるシステムは、そのまま魂が生まれ変わって新たな時代、新たな場所で新たな人間として生きる「輪廻転生」のメタファーだと考えられます。これを考えると、不可解な糸車婆さんの呪いの謎が説明できます。つまり、婆さんはこの世の理そのものであり、呪いとは、生まれ変わっても同じ苦しみを千年間味わい続ける。どの時代、どの場所でも人生と苦しみは切り離せないという現実を突きつけたものです。

輪廻転生の話を掘り下げると、この思想では生まれ変わる世界が6つあるとしています。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界の六道と呼ばれるものです。
実は千代子は回想の中で、時代の古い舞台順にこれらの世界を次々と移動してるようにも解釈できます(少々こじつけですが)。
まず、城に火矢が放たれ自害直前まで追い込まれ、さらに婆さんに呪いをかけられた部分が「地獄界」。次に、京都でひっそりと館を抜け出して鍵の君を探す部分が「餓鬼界」。餓鬼とは飢えに関係しますが、このシーンでは雇い主から酷い扱いを受ける千代子が映っており少しやつれている印象です。次に思想犯に加担したとして投獄されている大戦前が「畜生界」。畜生は動物の意味で、尋問を受ける千代子は動物のような酷い扱いを受けています。そして大戦後。焼野原になった風景から「争いの世界」を表す「修羅」がイメージされます。千代子が生きてインタビューを受けている現在が「人間界」。苦しみも楽しみもあるいわゆる普通の世界です。

そして注目すべきがラストシーン。打ち上げられるロケットの中で、晴れ晴れとした顔で例のセリフを言って本編は終了ですが、この千代子が上に向かう構図が、六道の内で最も楽しくて明るいとされる「天上界」へ向かうことの暗喩になっていると思います。「千年間恋に焦がされる」という呪いをかけられた千代子ですが、「結局はそれを楽しんでいる自分が好き」ということを認識し受け入れます。つまり、苦しいことが多く運命に翻弄される人生を「楽しかった」と受け入れることで、さらに次の世界へ進んで行くというストーリーが裏に隠されているのではないでしょうか。もしかしたらこれも、「悩みや苦しみを乗り越えるためは、自分自身の人生を受け入れることが大切だよ」という今敏監督のメッセージなのかもしれません。

また、立花が表す常に側で支えてくれる存在。命の恩人でもある立花を、インタビューを受ける中でやっと思い出すほど、千代子は自分に味方してくれる人に無関心でした。個人的には、立花は呪いの婆さんの言う、「しかしわしはお前が愛しくてたまらない」という部分だと解釈しています。困難だらけの人生でも必ず味方がいること。確かに自分が苦しい時にその存在に気付くことは難しいですが、これを無視してしまうと独りよがりの寂しい人生になってしまいます。輪廻転生の運命は、苦しいことの連続という側面が目立ちますが、実はその中にいつでも一筋の希望があるのです。千代子は最後にこのことにも気が付きました。これもまた輪廻転生から解き放たれる「鍵」の一つだったように思えてくるのです。

自分の感じた印象を長々を書きましたが、本作を観て感じるメッセージは人ぞれぞれだと思います。テーマ性を見つけられなくても、千代子たちの時代を超えた探し物の旅は十分すぎるほど見応えがあってそれだけで楽しむことができる作品です。個人的に超おススメの一作です。ぜひご覧あれ。
総合評価は90点(100点満点)です。

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