映画『トゥルーマン・ショー』あらすじと感想・ネタバレ

今回は1998年に公開されたご存知大御所コメディー俳優:ジム・キャリー主演の映画『トゥルーマン・ショー』のあらすじ(ネタバレあり)と感想を書いていきます。いつものコメディー作品と少し違い、ジム・キャリーのシリアス演技を楽しむことができます。奇抜なストーリー設定が評価を分けている感は否めないですが、ジム・キャリーの演技も素晴らしく、個人的には好きな映画です。

主な登場人物

トゥルーマン(ジム・キャリー):29歳の陽気な主人公
メリル(ローラ・リニー):トゥルーマンの妻で看護師
マーロン(ノア・エメリッヒ):トゥルーマンの親友
ローレン(ナターシャ・マケルホーン):青年時代にトゥルーマンが恋した女性
クリストフ(エド・ハリス):眼鏡の初老男性

あらすじ(ネタバレなし)

シーヘブンという島に住む、明るく愛されキャラのトゥルーマン。朝家を出て道すがら新聞と雑誌を買って勤める保険会社へ行くというありふれた毎日を送っていた。フィジーへ旅行に行くことに執念を燃やすトゥルーマンだったが、彼は実は水恐怖症で、島からは一歩も外に出たことがなかった。幼い時に父とボートで沖へ漕ぎだした際、嵐に会って父を海で亡くしていたからである。さらに彼は、今でも父の死の原因が自分にあるという意識にさいなまれていた。また、美人な妻がいるにも関わらず、若い頃に恋したローレンという女性が忘れらず、毎日買っている雑誌の女性の顔写真を切り合わせて、記憶を頼りに彼女の顔を再現しようと日々奮闘していた。

そんなある日、いつものように朝家を出て、新聞と雑誌を買って会社に向かう途中、彼は道で父にそっくりのホームレスの男性を見つける。慌てて近寄ろうとするが、そのホームレスは突然複数の人間に連れ去られてしまう。後にテレビニュースで、町からホームレスを排除する運動が起こっているということを知るが、腑に落ちない彼は、この出来事をきっかけに周囲の人間に違和感を抱くようになる。そしてその違和感は徐々に膨らんでいき、ついに彼は驚愕の真実にたどりつくのだった…。

あらすじ(ネタバレあり)

※以下ネタバレあります!

実は、トゥルーマンの生活は彼の生後からずっと365日24時間撮影されており、世界中で人気のリアリティ番組として生放送されていた。この街自体が巨大な人口のドーム内に作られており、トゥルーマン以外の住人は全て番組のエキストラだったのである。ちなみにトゥルーマンは外の世界ではみんなのスーパースター。この番組名が「トゥルーマン・ショー」であり、本編では日本の茶の間で放送されているシーンもでてくる。彼が密かに想いを寄せ続けるローレンは、番組が制作した台本に則らずにトゥルーマンと恋愛を始めたため、制作側から島を追い出されていた。登場人物の紹介欄で出てくるクリストフはこの番組のプロデューサーである(映画の観客には、割と早い段階でこの物語の構図のネタバレがされます)。

父そっくりのホームレスと出会った後、違和感を拭い切れない彼は、普段絶対行かない建物に入ってみたり、店で奇行をしてみたり、無理矢理妻を連れて町から出ようとしてみるなど、思いつく限りの方法でその違和感の正体を探っていた。しかし、ありえないようなトラブルが彼の行く手を阻み、どうしても町から出られない。自分の妻も、会話の流れからは不自然な、商品の紹介のようなセリフを口にするなど、トゥルーマンはますます周囲に対する疑念を強めていく(番組がCMをはさまないので、実際に登場人物が商品の宣伝をしています)。そして、度重なる不可解な出来事に耐えかねて妻に詰め寄った際、彼女は「誰か助けて!」と泣き出し、「いくら仕事でももう続けられない」と言う。そのタイミングでたまたま家を訪れた親友マーロンと浜辺に来た彼は、「自分の周りが全て自分を中心に動いている気がする」と、自分が感じている違和感を打ち明ける。そんな彼に、「一つだけ真実がある」とマーロンが連れてきたのは、何年も前に亡くなったはずの彼の父親だった。感動の再開に沸くお茶の間。しかしトゥルーマンはそれでもこの街に対して疑念を抱き続けていた。

ある日、地下室の整理をしている間に眠り込んでしまった風を装ったトゥルーマンは、撮影カメラをすり抜けて姿を消した。番組制作陣は慌てふためき、舞台である島では住人(エキストラ)が総出で彼の行方を追っていた。

島からどうしても彼を発見できないでいた番組制作陣であったが、海に漕ぎ出す一隻のボートを発見。なんと、水恐怖症だったはずのトゥルーマンが恐怖症を乗り越えて海に出ていたのだ。クリストフは、彼が死にかねないほど強力な風と雷を装置で発生させて嵐でトゥルーマンを諦めさせようとするが、それでも彼は諦めなかった。ついにボートの舳先がガツンと何かに当たる。それは空が描かれた壁であり、トゥルーマンの生きてきた小さな世界の突き当りであった。そこで外への扉を見つけて足を踏み入れるか迷うトゥルーマン。生まれた時から彼を見てきたクリストフは、臆病な彼が危険な外の世界に出ていくはずがないと高をくくっていたが、彼は勇気を出して、まだ見ぬ外の世界へ一歩を踏み出し、番組は終わりを告げたのだった。テレビを見ていた人々は長年見守ってきた彼の旅立ちに感動するが、すぐに次の番組を気にし始めるのだった。

感想

我々映画の観客には、早い段階でトゥルーマンの人生が生放送されているということは知らされますが、それでも先の展開が気になりハラハラワクワクと最後まで楽しめる素晴らしい構成でした。この映画は、「実はトゥルーマンの生活はリアリティ番組で365日生放送されていたのでした!」というどんでん返し的なところがメインではなく、むしろ世界中のお茶の間から私生活を見られているトゥルーマンを描いてテーマを掲げています。このテーマというのが、人生への向き合い方です。「安全だが面白みに欠ける作り物の世界から、危険だが冒険的な外の世界に憧れる一人の男性」を描くことで、冒険を恐れず、心の思うままに人生を歩んでいけというメッセージを伝えようとしているんですね。

個人的には、通説であるこのテーマともう一つ、「商品としての他人の人生」を扱った作品なのではないかと考えています。既述の通り、外の世界ではトゥルーマンは超人気者で彼のグッズも相当売られています。みんなが彼の生い立ちを知っており、彼の人生の全てを共通認識として持っているのです。
これは映画の中のトゥルーマンだけでなく、現実世界でも起こっていますよね。芸能人やスポーツ選手など、プライバシーの境目が分からなくなるほど他人の目に囲まれている人は意外と多いのではないでしょうか。実際にこの映画の監督は、この作品の構想はマイケル・ジャクソンの人生にヒントを得た部分があるとコメントしてます。人の私生活が公共に晒されて商品化しているという状況はごくありふれた日常なのです。そして極め付けがこの作品のラストシーン。トゥルーマンが外の世界へ行き番組が終わると、ひとしきり感極まっていたお茶の間は、すぐに「次の番組なんだっけ」というように興味の対象を切り替えます。ここに痛烈な批判と言うか、問題提起を感じます。「商品としての他人の人生」にいくら観衆がお熱になったとしても、結局は流行の内の出来事、消耗品だよね、というメッセージを感じました。事実メディアに露出する流行りはものすごいスピードで過ぎ去っていきます。シンプルながら、かなり残酷な現実を提示しているように思えます。

また、この映画の面白いところは、この主人公役の俳優がジム・キャリーでなければ全く違った作品に仕上がっていたであろうところです。この映画には一貫して、シリアス風に着色されたコメディという雰囲気があります。結局はコメディ映画なんです。つまり、この映画の中で、トゥルーマン・ショーはお茶の間で愛されるリアリティ番組であり、それゆえ余りシリアスになりすぎるはずがないという暗黙のルールのようなものが、我々映画の観客にも共有されるわけです。
ここで、もしトゥルーマン役を他の俳優、例えばマット・デイモンやジョセフ・ゴードン=レヴィットが演じたと想像すると、島から出ようと妻と車で大暴走するシーンなどで少しシリアスな雰囲気になりすぎてしまうでしょう。生粋のコメディ俳優というイメージが強いジム・キャリーが演じることで、いくら半狂乱的に彼が暴れてもコメディ映画、さらには映画の中で制作されているリアリティ番組の枠内の出来事として観ることができるのです。

そうは言いつつ、初めてジム・キャリーがシリアスな役に挑んで存分にその実力を見せつけたこの作品。奇抜な設定や美人のローレンなど個人的には好きな要素がふんだんに詰まったお気に入り映画です。評価は85点(100点満点)。おススメです。

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